2010年6月20日日曜日

菅首相が掲げる「最小不幸社会」とは

菅左翼運動家首相の、その思想が端的に表されている「最小不幸社会」という方針がある。

かたや、一般的に良く耳にするのは、「最大多数の最大幸福」であるが、この二つの言葉がどういう関係にあるのか、同じことの説明の違いなのか、そもそも違うのかどうか、検証し、現内閣の旗印を明らかにしてみたい。

一見すると、要は、どちらも幸福な人を増やして、不幸な人を少なくしたいのだから、同じことではないの?と思われがちである。
一体、真相はどうであろうか?

ベンサムが説く、「最大多数の最大幸福」は、「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」とする。

つまり、社会における幸福の数と量を最大化することに主眼があり、そのために必要となる重要なキーワードとなるのが、「資本家」・「企業家」の存在である。

最大多数の最大幸福を目指す方向においては、A・カーネギー、J・ロックフェラー、H・フォード、松下幸之助、本田宗一郎、ビル・ゲイツなどの企業家が世に出ることで、その企業に雇用される社員だけで万単位、関連のある企業まで含めれば、何十万もの人の雇用が生まれ、その恩恵に浴することとなる。
優れた企業家が育てた一本の木が非常に大きな木に育ち、数多くの人が〝雨宿り〟できることとなる。

この「最大多数の最大幸福」が成り立つには、「自由主義・資本主義」および「機会の平等・結果の公平」が不可欠となる。

即ち、チャンスは誰にでも平等に与えるが、そのチャンスをものにして努力した人には努力相応の結果がもたらされ、努力しなかったら、しなかったことの結果もまた努力相応に得られなければならない、ということである。
これをもって、「公平」という。

一生懸命勉強して、全問正解だった子には100点を、遊んでばかりでちっとも勉強しない子が、一問も解けなかった場合には、0点を付ける、ということである。
子供のテストなら簡単に分かることが、大人の社会になると、事情が変わるからややこしいが、
社会に幸福の量を増大させる偉大なる企業家が出てくる土壌を確保し、その「努力」を肯定することで、「豊かさ」の分配による、「最大多数に最大幸福がもたらされる」方向に社会が向かう。


これに対し、菅首相が目指す「最小不幸」とは、この「資本家」「企業家」を含む個人の努力というものを認めない。
それは、菅首相の言動に良く顕れており、「格差是正」と「社会保障」の二つを取ってみても、それが良く分かる。

つまり、その視線は「結果」にだけ注がれ、①嫉妬(本当は自分がそうなりたいのになれないという思い)による、結果を出した人や企業の否定、②そもそも人の労働価値は変わらない(マルクスの労働価値説)のだから、「差」が開くことはありえない(からこそ「格差」を連呼)、③差が開くことはありえないのであれば、「結果」として豊かということ=「悪いこと」、「貧しい人から搾取した人」であり、貧しい人達に、搾取した悪い人・企業からお金を巻き上げて、分け与えるのは当然だ、という流れとなる。

つまり、「貧しさ」の分配というのが、菅左翼運動家首相の「最小不幸社会」の結論となる。

ということで、ここまで見ただけでも、ベンサムと菅首相では、そもそも目指すベクトルが真逆であるばかりか、その幸福の数と量にも大差があることが判明した。

そう、「最小不幸社会」とは、ビリを無くそうとする発想で、1位を否定し、下から2位のブービーあたりで世を埋め尽くそうとする、みみっちい思想である。

これとは別に、もう一つ、別の見方をするならば、言葉には、言霊というものが宿っている。
常々口に出す言葉には、それを実現化する方向で言霊の力が働くことは、一般に知られている事実である。

言霊の力として、この両者を分析してみると、
「最大多数」「最大幸福」は、発展・繁栄を通して、社会が豊かになり、その恩恵を受ける人が多くなれば、幸福な人が増え、結果として、不幸な人を救うことも出来る、ミニマイズできる、というイメージに繋がる。

「最小」「不幸」は、「最小」自体が、発展を阻害するイメージがあり、上昇しようとする意欲・エネルギーに冷や水をかけるイメージである。
「不幸」は、言うまでもないだろう。「最小」とは別に、一人歩きして、この印象が残る。

つまり、言霊の力を知っている人であれば、〝絶対に〟使わない表現をしたことになる。
同じくタチが悪いヒトラーでさえ、国民を鼓舞するスピーチ力を備えていたから、最悪の上の最悪ということになろう。

では、この結論に基づいて、今話題の消費税増税論について見てみると、
最小不幸を目指すあまり、社会保障に熱を上げている菅首相の眼には、いかに「格差」を均して貧しい人に「分配」するか、ということしか映っていないように思える。

識者が、「消費税増税」は、「むしろ減収」と指摘しており、この財政下でやるのは自殺行為であるにも関わらず、おなかを空かせ、口を空けたヒヨドリに、「餌」をあげたいのだろう。

でも、その餌は、実は金の卵を産む鶏の〝ヒヨコ〟を料理したものなのだ。
今、その肉を屠っても、大した量にはならない。(何せ、増税しても税収は落ち込むのだから・・・)
しかし、成長戦略をとって、このヒヨコを大きくしたならば、即ち、減税・規制緩和・未来産業への投資・小さな政府を目指した政策を取り、このヒヨコを親鶏にしたならば、税収としては、今より苦労せず、低率でかつ絶対額を自然増収という形で確保できることとなるのだ。
即ち、金の卵を産んでくれ続けることとなるのだ。

だから、何もそんな貴重な鶏を食べようとせずとも、親鶏に育ててから、金の卵を使えば良いのだ。
それを、1羽しかいない、しかもヒヨコの状態で料理して食べるなんて、何とも何とも勿体ないことをする。

経済オンチの極致であり、社会保障にしか関心がない人物が、第二幕の代表として出て来ざるを得ない民主党の層の薄さを露呈させる何よりの証左となる事実である。

そんな、菅首相の本音が分かる本が、「国家社会主義とは何か」(大川隆法、幸福の科学出版)で、よく分かる。
本人がマスコミに本音を語るはずもないだろうから、ここでは、本人の本心を語ってくれる守護霊にご登場いただこう。
テーマは、鳩山前首相が退陣するキッカケとなった、沖縄の米軍基地の問題について。

以下は、菅首相の本音(守護霊が代弁)である。

「三年に一基地ぐらいずつ減らしていって、向こう三十年ぐらいで、日本からアメリカ軍の基地は、全部、撤去したい」というあたりが、わしの本音かな。

この事実一つだけで、首相辞任なんだけど。フツーなら。

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